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 2008-03-24 Mon 01:27  

キオクノカケラ ~その2~

                  
前回の続き。

それから、高校時代の写真アルバムを開いてみた。
去年の3月に閉校となった、アメリカにあった日本人学校での写真だ。
入学した頃はアメリカという広くて自由な国に来た喜びでいっぱいだった。だが、数か月もするとそれはすぐに絶望へと変わっていった。
アメリカという広い国の中の、日本人だけが生活する学校の敷地。僕にはそれが閉鎖的に感じられてならなかった。

1990TMG001


1990TMG002


そんな中、少しでも「自由な」アメリカに触れたくて、週末は必ずと言っていいほどホストファミリーのところで過ごし、そのホストファミリーと一緒に近所の教会の日曜礼拝に参加してからまた寮に戻っていた。
あの頃の僕は他の人たちが様々な理由を抱えて日本から遠く離れたこのアメリカの片田舎に来ていることに想いを寄せるなんてできなかったし、どこかで僕は彼らを蔑んでいた。
「僕はみんなとは違うんだ」―そう自分に言い聞かせて学校生活を送っていた。

今考えてみると一番「不自由」だったのは僕だったのかもしれない。幼い頃から常にエリートであることを求められ、自分自身もそれが自分の生きる道だと信じていた。それ以外に考えることはできなかった。
ホストファミリーのところにいる時が唯一、それを忘れることができる時間だった。

1990TMG003


自分をどんどん追い詰め、逃げるように日本に戻ってきてから16年が経った。
当時の友達も様々な方面で活躍している。ある新聞社のエコノミストとして名を馳せている者もいる。
今はあの高校はもうない。だが、その時の痛みにも似た感情と孤独感は今でも自分の胸の中にあって、触れられるのを拒んでいる。

写真を見ると、その時の感情がどんどん湧き上がってくる。楽しかったこともつらかったこともいっしょくたになって自分の感情を支配する。

僕は主に自分が「写す」側だった。「写る」側の気持ちはこんなものなのだろうか?僕の写真を見て様々な感情が湧きあがってくるのだろうか?

その時の「その場の空気の一部」を切り取り、記録することが写真の使命だとしたら、写真とは人によっては残酷なものだと思う。
でもその残酷さの中にもわずかな希望を求めていくことを、今の自分の写真を撮る姿勢として大切にしていきたい。

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こぉらす

  • Author:こぉらす
  • ブログ開設:2006年11月1日

    最近は山よりも街の写真が増えてきています。
    ホームタウンの墨田・台東エリアを中心に、下町や山の魅力をお伝えします。

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